こんにちは。桂颯です。
今回は、
「美人画に込める想い」というテーマで
お話ししようと思います。
美人画と聞くと、
江戸時代の浮世絵や
日本画の麗しい女性像を
思い浮かべる人が多いでしょう。
しかし、
私にとっての美人画は
単なる美の追求ではありません。
それは仏画、
特に観音さまを描いてきた経験から
生まれた表現の形です。
私は
これまで多くの白衣観音を
描いてきました。
しかしあるとき、
ふと気づいたのです。
私の身近にいる女性たちの心の中にこそ、
観音さまのような美しさが
宿っているのではないか、と。
ただ美人画を描くにあたって
写真をそのまま使うことができない
という課題がありました。
プライバシーの問題があり、
実際のモデルの写真を
自由に使用することはできません。
そこでわたしは、
Midjourneyを活用し、
自分のイメージに合った
下絵を作成するという方法を
取り入れました。
AI技術を使いながらも、
そこに込める思いや表現は、
伝統的な絵画の精神に
基づいています。
本記事では、
私が美人画を描くようになった経緯と、
作品に込めた想いを
3つの作品を通して紹介します。
これらの作品は、3枚とも、
画仙紙の大色紙に、
顔彩を使って描きました。
第1章:朝日を見つめる乙女ー慈愛と覚悟を描く

この色紙絵の主人公は、
脳腫瘍を患い、
片目の視力を失いながらも、
決して希望を手放さなかった女性です。
彼女は前向きで、
いつも明るく微笑み、
趣味を楽しみ、
家事をこなし、
サイクリングに出かけ、
ご主人と共に
限られた命を
精一杯、穏やかに過ごしました。
病と向き合いながらも、
その笑顔が曇ることはなく、
最後の時まで
変わらぬ姿で生き抜いたといいます。
おそらく彼女の心には、
ご主人や家族への深い愛が
あったのでしょう。
彼らに心配をかけまいと、
自らの苦しみを抱えながらも、
変わらぬ笑顔で寄り添い続けた。
その愛の深さに、
わたしは心から感動しました。
彼女が旅立ったのは、
葡萄が実る季節。
それ以来
私は葡萄のふさが
朝日に輝く光景を見るたびに、
彼女を思い出します。
そして、
彼女の生きた証を絵に刻みたいと願い、
毎年、葡萄の絵を描いてきました。
今回の美人画では、
朝日に向かって
静かに佇む乙女の姿を描きました。
その胸には、
病と向き合う厳しい覚悟と、
家族を包み込む優しさが
秘められています。
背景には、
彼女を象徴する葡萄を配し、
命の輝きを表現しました。
「朝日を見つめる乙女」
それは、
逆境の中でも希望を失わず、
愛する人々のために微笑み続けた、
一人の女性が
朝日を見つめる時、
ふっとこんな表情をしたのではないかな
というイメージで美人画に変え、
象徴的に表現した絵です。
第2章 「龍と乙女」ー煩悩を超え、真の慈愛へ

この絵に描かれた乙女は、
心の奥にさまざまな葛藤を抱えています。
怒り、苦しみ、悲しみ、憎しみ
荒れ狂う感情の波に
飲み込まれそうになりながらも、
彼女は必死に祈り続けています。
その感情をただ押し殺すのではなく、
慈愛へと昇華しようとしているのです。
けれど、
それは容易な道ではありません。
内面の激しい苦しみに耐え抜くためには、
彼女は龍の力を必要としています。
龍は、
燃えるような眼差しで彼女を見つめ、
問いかけます。
「それでいいのか? 本当にそれでいいのか?」
彼女の迷いや甘えを見透かすように、
龍は厳しく、容赦なく問い続けます。
乙女を真に救うのは、
優しさではなく、その鋭い眼差し。
強くあれ。
感情に流されるな。
真の慈愛とは、
ただただ優しいだけのものではない。
その中に、強さを秘めたものなのだ
龍はそう教えています。
乙女が祈るたび、
龍の目はより鋭く光ります。
弱さの先にある、
本当の愛へと導くために。
第3章:「銀杏の下で」ー 喪失を乗り越える微笑み

三つ目の作品は、
子供を無くした女性の肖像です。
喪失の悲しみは計り知れません。
それでも彼女は、
時間をかけて
深い悲しみを抱えながらも、
周囲の人々の前では
穏やかな微笑みを
見せるようになりました。
彼女の姿に、
私は観音さまの慈悲の中にある
「耐え忍ぶ美しさ」を見ました。
涙を流しながら
微笑むことは容易ではありません。
しかし、
彼女はその苦しみを乗り越え、
周囲に優しさを与える
存在になっていったのです。
この作品では、
静かな光の中で
祈る女性を描きましたl。
銀杏の木の下で、
朝日を浴びながら、
天国にいる子供に話しかける姿を
描きました。
第4章:朝焼けの微笑

桂颯の「颯」という漢字は、
風が吹く様子、
きよらかな様子を表します。
私は、
さわやかな風が大好きなのです。
心の中に
さわやかな風が
吹き抜けるような絵が描きたい。
さわやかな笑みを讃える
美人画を描きたい。
そして、
この絵が生まれました。
まだまだ拙い絵だけれど、
どこか、
風が吹き抜けるような笑顔に
なった気がします。
これ以上、
もう手を加えるのは
やめにしました。
手を加えれば加えるほど、
遠ざかっていく気がするから。
まとめ
私にとっての美人画は、
単なる美の表現ではありません。
それは、
人々の内面に宿る輝きを
映し出すものです。
病と向き合う強さ、
葛藤を乗り越える祈り、
喪失を乗り越える微笑み、
朝焼けのようなさわやかな笑み
そしてすべての女性の中にある
観音さまのような美しさ。
美人画を描くことで、
私はその瞬間の輝きをとどめ、
見る人のこころに
何かを届けることができればと
思っています。
AI技術を活用して
下絵を作ることも、
表現の新たな可能性を
広げる手段の一つです。
しかし、
最も大切なのは、
その絵に込める想いです。
美しさとは、
表面的なものではなく、
生き方や心のあり方に宿るもの。
これからも、
そんな美しさを
描き続けていきたいと思います。