こんにちは。桂颯です。
今回は、
祈りの詩画集「光と影」から
地獄の詩画をお届けします。
第1章 地獄とは何か

UnsplashのJohannes Plenioが撮影した写真
人生には、
どうしても避けて通れない
時があります。
逃げ出したい。
目を逸らしたい。
できることなら、
誰かに代わってほしい。
けれど、それでも
逃れられない場所が
あります。
それが、
私にとっての
「地獄」でした。
地獄とは、
逃げ場のない正念場。
自分の甘さも弱さも、
すべて突きつけられる場所です。
進めば、
困難が待っていることは
わかっている。
しかし、避けて通れば、
大切なものを失うかもしれない。
引き返せば、
後悔が一生残るだろう。
だから、
腹を据えるしかない。
真正面から
受け止めるしかない。
それが、
人生の中で
何度か訪れる
「地獄」なのだと思います。
第2章 覚悟を問う仁王像

UnsplashのFalco Negenmanが撮影した写真
地獄の只中で
必要なのは、
優しさでも、慰めでも、癒しでもない。
必要なのは――
逃げようとする自分を叱り飛ばし、
甘えを許さず、
覚悟を問いかけてくる存在。
仁王像です。
奈良の戒壇院に
安置されている四天王の一人、
広目天のような
冷ややかな目をもつ仁王像です。
その眼差しに、
優しさは微塵もありません。
「お前の甘さは許さない」
「覚悟はあるのか」
「それでも進むのか」
そう問いかけてくる、
どこまでも厳しい眼です。
けれどその厳しさは、
突き放すためのものではなく、
人を鍛え、
導くための厳しさです。
逃げたい心を見抜き、
恐れをごまかす心を見抜き、
覚悟のなさを見抜く眼。
それでもなお、
進もうとする者だけを通す
関門のような存在。
私は、今回の地獄の詩に、
そんな眼を持つ仁王像を
描きたいと思いました。
第3章 地獄の詩画

描いたのは、
炎に包まれた
赤い仁王像です。
赤は、怒りの色。
赤は、覚悟の色。
赤は、命を燃やす色。
鬼のような激しさをまとい、
歯を食いしばり、
金剛杵を握りしめ、
一歩を踏み出す姿。
それは、
人の弱さを
打ち砕く存在であり、
同時に、
人の強さを
引き出す存在でもあります。
優しさだけでは、
越えられない。
祈りだけでは
踏み出せない。
必要なのは、
自分自身を奮い立たせる
「鬼の心」なのです。
第4章 南無地獄大菩薩とは?

UnsplashのThe Cleveland Museum of Artが撮影した写真
――南無地獄大菩薩とは?
南無地獄大菩薩にまつわる、
こんな話を
聞いたことがあります。
・・・・・・・・・・・・・・・・
事業に失敗し、
追い詰められた
ある実業家A氏が、
俳句仲間でもある
実業家B氏のもとを訪ね、
借金を申し込みました。
A氏は何も言わず、
B氏を茶室へ案内します。
その床の間には、
白隠禅師の書いた
「南無地獄大菩薩」の軸が
掛けられていました。
A氏は、
長時間、その軸に対座し
黙って考え込みました。
そして
静かにこう語ったといいます。
地獄から逃げたいと
願うのは人情です。
けれど、
逃げようとすればするほど、
地獄はより大きく、より重く、
人にのしかかってくる。
ならば、
この地獄を「南無菩薩」と受け取り、
合掌して
進むほかないのではないか。
この地獄のただ中にあっても、
自分の能力の限りを尽くそう。
倒れるまで、
否、
たとえ死に至るとしても、
最善の力を傾けよう。
A氏は、そう悟ったといいます。
第5章 地獄の先に見る光

UnsplashのHuma Kabakciが撮影した写真
白隠禅師は、
幼い頃から
地獄を恐れ続けていた人でした。
その恐怖は
尋常なものではなく、
夜も眠れぬほど、
地獄の業火に
怯えていたと
伝えられています。
しかし、
その白隠が、
厳しい修行の果てに
辿り着いた境地が
「南無地獄大菩薩」でした。
地獄から逃げるのではない。
地獄を呪うのでもない。
地獄を否定するのでもない。
地獄そのものを拝み、
地獄の中にあっても
揺るがない覚悟。
それは、
地獄を知り尽くした者にしか
書けない言葉です。
そして、
その文字はきっと、
数えきれないほど
多くの人の地獄を
救ってきたことでしょう。
私の詩画も、
地獄に立つ誰かの背中を
支える灯りとなりますように。

