こんにちは。桂颯です。
人は誰でも、
長い人生の中で、
何度も苦しい試練に
出会うのではないでしょうか。
思いもかけない荒波に
のみ込まれ、
溺れてしまいそうに
なることもあります。
そんなとき、私は
自分を励ますために
そして
自分自身を見つめるために、
日記をつけてきました。
そうやって
書き留めてきた日記が
いつの間にか、
詩集になっていたのです。
この祈りの詩画集の詩は、
昔、
日記の中に書き留めていた
言葉の断片です。
そして、
それらの詩に添えた絵は、
その頃の自分を、
今の私が
静かに見守るような心境で
選んだものです。
「光と影」は、
過去と現在が
重なり合う場所であり、
過去の自分の切なる祈りを、
今のまなざしで
暖かく見守る場でもあります。
今回は、
祈りの詩画集「光と影」の中から、
「今日」というテーマで
お届けしようと思います。
第1章 何もできない日を、生きのびるために

UnsplashのRichard Loaderが撮影した写真
──大きな木に抱かれるということ
人生には、ときどき、
疲れ切って
何もできなくなる日があります。
頑張る気力も、
前を向く力も、
生きていこうとする意欲さえ、
すっかり失われてしまうような日。
考えることすらできず、
ただ、
うずくまって眠っていたい。
そんな日が、確かにあります。
けれど、
現実はそう簡単ではありません。
家族がいる。
仕事がある。
日常は、待ってくれない。
だから私たちは、
「何もできない自分」のまま、
それでも一日を、
なんとかやり過ごしていくのです。
第2章 大きな銀杏の木に会いに行く

Unsplashのnote thanunが撮影した写真
そういうとき、
私は一人で、
ある場所へ向かいます。
車で10分ほど走った先、
狭山湖の近くの
小高い丘の上に、
とても大きな銀杏の木があります。
両手を思いきり広げても、
とても抱えきれないほどの、
大きな木です。
私はその木の根元に
腰を下ろし、
黙って、
そっと抱きつくのです。
何かを
お願いするわけでもなく、
言葉を発するわけでもなく、
ただ、
身を委ねるのです。
すると不思議なことに、
胸の奥に溜まっていた
重たい感情が、
少しずつ抜けていき、
代わりに、
木の底の方から、
静かで強い力を
分けてもらっているような
気がしてきます。
第3章 理屈ではなく、感覚として

UnsplashのErik van Dijkが撮影した写真
大きな木には霊力がある、
そんな話を聞いたことが
ある人もいるでしょう。
実際、
私は自然療法を学ぶ中で、
そうした考え方に触れてきました。
けれど今振り返ってみると、
知識を得るずっと前から、
私は無意識のうちに、
木と「交流」していたように
思うのです。
理屈ではなく、
ただ、感覚として。
弱りきった心が、
何も要求されない場所で、
そっと休ませてもらう。
それだけで、
人はまた一歩、
生きていけるのかもしれません。
この絵について

「今日」の詩に添える絵を
考えていたとき、
どんな絵が
ふさわしいだろうかと、
しばらく静かに思いを
巡らせました。
すると、
この絵が、ふっと
頭に浮かんできたのです。
私は昔から、
大きな木が好きでした。
理由ははっきりしませんが、
ただそばにいるだけで、
安心できると
感じていたのかもしれません。
この絵を描きたくなった
心境の奥底には、
きっと、
この詩があったのだと思います。
大きなアコウの木に抱かれたい。
癒されたい。
猫のように、無防備になって、
大きな懐に
すっぽりと包まれたい。
意識していたわけではありません。
けれど、
そんな願いがどこかにあって、
私はこの絵を
描いたのかもしれません。
この絵に描かれている
白い猫は、私です。
木は、
私の故郷にある、
アコウの木。
疲れ切って、
何も考えられなくなったとき、
誰かに励まされることよりも、
何かを教えられることよりも、
ただ、
「そのままでいいよ」
と包まれる場所が、
人には必要なのだと思います。
この絵は、
そんな時間の記憶から
生まれました。
まとめ
今日一日を、
どうにかやり過ごしただけでも、
それは十分なこと。
何もできない日も、
立ち止まる日も、
ただ耐えている日も、
あっていい。
もし、今、
同じように
疲れ切っている人がいたら、
この詩と絵が、
ほんの少しでも、
休む場所になれたらと
願っています。

